ハワイの空の玄関口が、オアフ島にあるホノルル国際空港。長く「ホノルル国際空港」として知られていましたが、2017年4月、「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に正式に名称変更されました。
名前から想像できるように、ダニエル・K・イノウエとは日本人の血が流れる日系人。空港に名前がつくほど、偉業を成し遂げた日系人とはどんな人物なのでしょうか?
ダニエルKイノウエ氏はアメリカ合衆国上院議員だった人物。両親は日本からハワイへやってきた移民で、ダニエル氏は日系2世としてハワイで生まれ、育ちました。
彼の激動の人生は、ハワイ大学在学中に起きた第二次世界大戦が発端となり、動き始めます。アメリカの敵国である在住日本人や日系人は、アメリカにとってスパイになる恐れがあると強制収容所に送られる差別的扱いを受けたのです。
そんな中、アメリカ国民として認められるために、日系人を中心として作られた部隊が442連隊です。442連隊が赴いたのはとりわけ激戦地。同連隊の死傷率はとても高く、まさに命をかけてアメリカ人としての忠誠を示していったのです。ダニエル氏も442連隊の一員として激闘を生き抜いた一人で、戦いの中で右腕を失くしています。
戦後、政治家として活動を始めたダニエル氏。ハワイ議会の議員を経て、日系人としてアメリカでは初めて、合衆国連邦上院議員となりました。その後49年間もハワイ州選出の上院議員を務め、ハワイ空港の発展などに大きく貢献してきたのです。
ダニエル氏は2012年にその生涯に幕を閉じました。そのニュースはアメリカで大きく報じられ、当時のアメリカ大統領であるオバマ氏が「米国は真の英雄を失った」と声明を発表しています。さらに2016年に安倍首相がハワイ真珠湾を訪問した際、日本とアメリカの歴史と共にダニエル氏についても、オバマ氏は演説の中で触れていました。
偉大な功績を残し、アメリカ人、とりわけハワイの人々の心にその名が刻まれたダニエル氏。そんな彼へ敬意を表して、ハワイを代表する空港に彼の名前が冠されることとなったのです。
「ダニエル・K・イノウエ国際空港」と名前は変わりましたが、世界の空港を表す、アルファベット3文字の「空港コード」については、現状の「HNL」がそのまま維持されます。
ハワイの人々は日本人の私たちにとても親切で、日本の文化などについても深い理解があります。それは、ここで紹介した、ダニエル氏をはじめとした日系人たちの世界大戦における命をかけた忠誠の歴史があったからこそなのですね。
人物の名が付けられた空港として、アメリカではニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港がよく知られています。それと同じように、「ダニエル・K・イノウエ国際空港」が日本や世界中の方々に広く愛されていくとよいですね。
参考:ハワイ【ホノルル空港から市内・ワイキキのアクセス方法】所要時間&料金比較
ダニエル・K・イノウエ国際空港 http://airports.hawaii.gov/hnl/
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